年末年始の出来事まとめ 父の急死 つづき


父の急死の話 つづき → 年末年始の出来事まとめ 父の急死

救急搬送された晩は、意識はないもののひとまず容態は落ち着いているというので、母から実家へ戻るように言われチビちゃんと妹と一緒に一度帰宅しました。

翌日も病院へ行こうと思っていたのですが、明け方4時ころに母から電話。

「もうだめかもしれない。」と


慌てて着替えて、妹と姪っ子、甥っ子、チビちゃんをのせて高速で病院へ。

通常子どもはICUには入れてもらえないのですが、ICUの中にある個室にベッドを移動してもらうことが出来たので、子どもも入室しても良いと言われ、みんなで病室に入ることが出来ました。

医師からは「このまま意識が戻ることはないでしょう。」と言われていたので、見守ることしかできません。

体温はどんどん下がってきて冷たくなっています。

それでも心臓は動いているので、人工呼吸器で呼吸が出来ている状態です。

身体に繋がれたモニターに映し出された数字は心音の波形と呼吸数以外、血圧は表示されなくなっていました。

それでも父は生きています。

ベッドサイドでみんなで父の話をしました。

看護師さんには「声は聞こえているから、最後まで話しかけてあげてください。」と言われました。



父は、決して人に誇れるような人ではありませんでした。

ギャンブルで多額の借金を作り家族に内緒にしていたり、お金を知人にだまし取られたり等々・・・

父の文句を言いながら、それでもね・・・・って。



4日(土)血圧は採れないものの、かろうじて心臓が動いて人工呼吸器で呼吸している状態で安定。

母はその日も付き添い、私たちは午後には自宅に戻りました。


不安なままの夜を過ごし、翌5日(日)。

私はパパちんを迎えに行くため、一度日野へと戻りました。

山梨は天気予報で雪が降るかもというので、万が一に備えタイヤもスタッドレスに交換するため帰宅。

タイヤ交換を終え、再び山梨へ向かおうと車を走り始めたときに母からLINEがありました。

「父が息を引き取った」と。

お昼前でした。

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私たちは、そのまま高速で、途中妹家族を乗せて病院へ向かいました。

病院では叔母夫婦も来てくれていました。


母は最期まで父を見捨てなかった。

酷い夫だったと思う。

それでも夫婦でいたんだよね。


ベッドの上に横たわる父に繋がれていた機械はすべて外され、モニター類も切られていて、あぁ・・・ほんとに死んじゃったんだなって。

苦しんだ表情もなく、ほんとに寝ているみたいだった。


病室についた時、すでに父は綺麗に整えられていました。

あとはお迎えを待つばかり。

すでに、母が葬儀社へ手配していたので自宅へ連れ帰る手はずは整っていました。


叔父に後を頼み、母もつれて私たちは先に実家に戻り父を迎える準備をすることにしました。



父が倒れてから2日後でした。



つづく




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